やむにやまれず

8月30日、老若男女が国会を取り巻く「集団的自衛権への道を開く法案反対」集会に参加してきた。

マスコミがはやし立てた「決められない政治からの脱出」を旗印に、前回の参議院選挙、昨年暮れの衆議院選挙で、多くの有権者が棄権する中、小選挙区制の矛盾を最大限に生かして獲得議席数で圧勝した安倍政権(自民党プラス公明党)は、「選挙公約に掲げて国民の信任を得た」ことを口実に、次々に危険な法案を上程し、数の力を支えに、「粛々と」強引に可決しようと進めている。

その政治手法は、「自分が総理大臣だから、自分が決意したことはすべて正しく、閣議決定さえ行えば、与党である自民・公明党員はもちろん、自分に選挙で信任を与えた国民は総理大臣の意向に従うのが当然である」と考えているとしか思えないものである。しかも、閣議決定にいたる議題の上程には、自らの意向を忖度してくれる「有識者」の会議で審議し答申させるというもので、まさに「仲間内の馴れ合い会議」であり、これに関わる「有識者」には「万全な人間などありえない」ことへのおそれや謙虚さが全く見られず、ましてや自分の発言が間違っているかもしれないなどという感覚は全く感じられない。

このようにして上程された法案の審議に当たっては、「数こそ民主主義」とばかりに、「形式的審議時間を満たす」ことに注力し、不誠実な答弁に終始している。しかも、これを報道する多くのマスメディアは、トップ層が首相と頻繁に会食やゴルフをしているためか、「会社として首相を支えることが会社の方針」と心得て、政権に都合の悪い情報にはあえて目をつぶっているかのようである。

この状況の中で、「ちょっと待ってくれ。そんなことをしたら、折角『第二次世界大戦』の大きな犠牲の代償としてもたらされた我が国の平和と民主主義が根底から覆され、孫たち以降の世代に負の遺産を引き渡すことになる」との思いを何とかして伝えることは、戦前に生まれ、戦争中に育ち、戦後の混乱期を乗り越え、現在の文化を築いてきた私たち世代の最低の義務ではないだろうか。

そのような思いが沸々と湧いてきたが、いかんせん私個人は全く無力な存在である。このような状況を生み出した責任は、もともと現政権に「白紙委任」とも錯覚させるほどの大勝を与えてしまった「選挙に行かない」人々にあって結果は甘んじて受けるべきであるし、自分も若い頃ほどのスタミナはない。高連協も「政治的」活動にはなじむとは思えない。

それでも、じっとしていては、何も変わらない。

そんなこんなで、小雨の中ではあったが、報道陣と労働組合旗が予想外に少ないことに驚きながら、折角与えられた場に参集した老若男女12万人の中の1人として反対集会に参加してきたのである。                                                                        (鷹野 義量)

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